わたしが「統合失調症」って言葉を初めて聞いたのは、たしか高校生の頃だったと思う。保健の授業で、精神疾患についてさらっと紹介されただけで、正直そのときは自分には関係ないって思ってた。
でも、今のわたしにはそれが日常だ。毎日飲む薬、月に一度の通院、何よりも「見えない不安」と「聞こえないはずの声」と一緒に生きていく生活。
診断されたのは20歳のとき。大学に入って1年くらい経った頃だった。最初は「疲れてるのかな」くらいにしか思ってなかった。夜眠れなくなって、頭の中がぐるぐるして、何かを監視されてる気がして、友達の笑い声が全部わたしの悪口に聞こえて…。
誰にも言えなかった。怖かったし、恥ずかしかったから。
親に心配かけたくなかったし、友達に「変な子」って思われるのも嫌だった。でも、ある日、授業中に突然泣き出してしまって、先生に保健室に連れて行かれた。そこから保健センター、そして心療内科へとつながって、やっと「統合失調症」という診断が下された。
最初は「うそでしょ?」って思った。ドラマとかで出てくるような、すごく深刻な病気のイメージがあって、自分がそうだなんて信じたくなかった。
でも、病名がついた瞬間、少しだけ安心したのも覚えてる。自分がどうしてこんなに苦しかったのか、理由がわかった気がしたから。
それでも、そこからが本当の戦いだった。
周りの反応は、正直つらかった。親は「どうしてもっと早く言わなかったの?」って泣いてたし、友達は最初こそ心配してくれたけど、徐々に距離を取られるようになった。誰かと会うたびに、「変に見られてないかな」「今の私、おかしくなってないかな」って考えて、ますます人と関わるのが怖くなった。
わたしは、ただ「普通に」大学に通って、友達とカフェに行って、バイトして、恋をして、そういう当たり前の毎日が欲しかっただけ。でも、社会は「普通」から少しでも外れると、すごく冷たくなる。
「統合失調症です」なんて、口が裂けても面接では言えないし、SNSにも書けない。無言で頷いたり、曖昧に笑ったりすることばかりが増えて、本音をしまいこむ癖がついた。
それでも、生きていかなきゃいけない。薬を飲みながら、波のようにやってくる「不安」や「幻聴」と付き合いながら、なんとか毎日をやり過ごす。
調子のいい日はコンビニに行けるし、悪い日は布団から出られない。それでも、「わたしの人生、これでいいんだ」って思えるようになったのは、少しずつ「自分を許す」ことを覚えてきたからだと思う。
ネットで同じ病気を持つ人のブログを読んだり、たまたま出会った支援員さんと話すことで、「わたしだけじゃない」って知ったのも大きかった。
あとは、精神疾患をオープンにして活動してる人たちの存在も。わたしは声を上げる勇気はまだないけど、それでも「そういう選択肢もあるんだ」って知れたのは救いだった。
社会は、まだまだ生きづらい。
電車でパニックになっても誰も助けてくれないし、就職活動では「長く働けますか?」って聞かれて、答えに詰まる。
でも、それでも生きている。
わたしは、弱さを抱えながら、それでも毎日を積み重ねてる。それがどれだけ尊いことか、自分だけは知ってる。
未来のことは、正直よくわからない。
病気が治るのかも、働けるようになるのかも、恋愛ができるのかも、全部不安。
でも、たとえ道がゆっくりでも、まっすぐじゃなくても、自分のペースで歩いていけたら、それでいいと思ってる。
わたしは「統合失調症」だけど、それがすべてじゃない。
わたしは「普通」じゃないかもしれないけど、「わたし」という一人の人間として、ちゃんとここにいる。
誰かに理解されなくてもいい。
でも、この文章を読んで、少しでも「ああ、そうなんだ」って思ってくれる人がいたら、それだけで今日は少しだけ救われた気がします。
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